洋野ヒストリア デジタルアーカイブ|Hirono Digital Archives

鳴雷神社_江戸時代に奉納された御神輿_後ろ側

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鳴雷神社_江戸時代に奉納された御神輿_後ろ側
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鳴雷神社_江戸時代に奉納された御神輿_後ろ側
時代 文久2年7月17日
解説 岩手県九戸郡洋野町大野にある鳴雷神社に祀られている江戸時代に奉納された貴重な御神輿。
後ろ側になる。

御神輿下面には文久2年に造られたことや奉納者などの記述がある。そのほか、鳴雷神社へは御神輿と共に太鼓と棟札が奉納されており、言い伝えによると御神輿は京都で造られたのち、船で八戸まで輸送され、旧大野村の鳴雷神社まで村内に住む若者たち数名が約40Kmの山道を担いできたという。長い道のり若者たちは予備の草鞋を数足持ち合わせては、数日かけながら3里から4里歩いては履き潰しながら運ばれたとされる。
この御神輿も老朽化が進み、現在は数年前に造られた御神輿が鳴雷例大祭の神輿渡御に使われている。

《参考》
「鳴雷」と書いて「なるいかずち」と呼ばれている。
鳴雷神社は、旧大野村の鎮守であり、地元の人からは雷神様と呼ばれ親しまれている。宝暦八年(1758)の勧請といわれ、京都上賀茂の賀茂別雷神社(元官幣大社)の今宮として、明治四年(1871)三月に村社に昇格している。祭神は鳴雷神社で、古来より国家安泰、武運長久、五穀成就を祈願してきた。
藩政時代には、八戸藩主南部公からの尊崇も厚く、また、遠く江戸の承認、和泉屋甚兵衛が文化十四年(1817)に石造狛犬一対を奉納しており、地方神社としては著名であった。
神輿渡御が行われるようになったのは、慶応二年(1866)からといわれている。この鳴雷神社例大祭は、旧大野村最大のイベントであり、初日と終日は還御、郷土芸能舞、山車の運行が行われる。中日には、権現舞や、駒踊りの門付けなどが各家々をまわり、三日間通して活気に溢れる。
鳴雷神社大祭の延々三〇〇メートルに及ぶ三日間の行列は、各種団体の交通誘導員及び交通指導員を配置し、久慈警察署の協力を得ながら、行列コース全体が交通規制下で行われる。
当然のことながら、コースの出発と到着は鳴雷神社であるが、御旅所が上組の宮司宅前と下組の八坂神社の二カ所にあることから、毎年行列コースが交互に変わり、本年が仲町交差点左折~八坂神社~宮司宅前コースならば、翌年は仲町交差点右折~宮司宅前~八坂神社コースとなる。また渡御の最終御旅所が宮司宅前ならば、還御(おかえり)の出発は宮司宅前となっている。
行列の順番は、宮司-猿田彦の大神―各種旗-稚児行列-宮司-御神輿-宮司-神社総代-村内有志-消防団-おおの駒踊り-虎舞-婦人団体の「おおの小唄」-各地区団体のナニャドラヤ-山車-武友会おおの神輿である。
御神輿行列をさえぎって道路を横断したり、御神輿より高い位置(二階)から御神輿を見たりすることは禁じられている。
昭和九年までの祭礼は十七、十八の二日間であったが、昭和十年より中日を入れて三日間となった。
※昭和40年の鳴雷神社例大祭の日程は、現在の日程と違い8月13日、14日、15日の3日間。昭和41年は9月1日、2日、3日の3日間行われていた。
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地域 大野庁舎周辺 / 馬渡・大野中区・仲町
資料ID 254ORS_00072